4日目からアーナパーナ瞑想に代わってヴィパッサナー瞑想になります。

ヴィパッサナーは、呼吸ではなく体の感覚を観察していく瞑想法です。

仏陀が悟りに至った瞑想法です。この瞑想法が極まれば解脱して、もう生まれて来ないのです。

最初から脱線してしまいますが、

「もう生まれて来ない」のが到達点というのがピンと来ない方も多いと思います。

この世で生きることは「苦」だから、もう生まれないことが理想とされているのです。

そう考えると、人生が楽しくて楽しくてという人は瞑想とは出会わないかもしれませんね。

 

体の感覚

今回わかったのですが(話は前回も聞いたのだが頭に入っていなかった)体中に感覚があるのだそうです。

でも、気づいていないだけなのです。

足が痛いとかお尻が圧迫されているとか、体のどこかが痒くなったとか、

そういう明らかにわかる感覚でもいいし、

アーナパーナでキャッチできるようになった微細な感覚でも、感覚は感覚なので差はありません。

この「どんな感覚でもヴィパッサナー瞑想においては、感覚として扱われて、そこには差がない」ということは何度も何度も指導されます。

 

体の感覚を観察をする(ヴィパッサナー瞑想)

では、実際にどのように体の感覚を観察していくかというと、

頭頂後頭部右の眉左の眉右目左目右の頬左の頬左の耳右の耳右の肩右の上腕部右の肘右の前腕部右の手首右の手

同様に左の肩から手をやり、

お腹首の後ろ背中の上半分背中の下半分臀部右の腿右の膝右の脛右の足首右の足

同様に左の腿から足まで

というふうに意識を動かして体に現れる感覚を観察していきます。

感覚が感じられなかったら、そこに12分留まります。

それでも感じられない時は次の部分に移ります。

ただそれだけ。

ひたすらそれだけをまた1日10時間‼️

 

ヴィパッサナー瞑想、何が大変かというと

この4日目から実は地獄の苦しみが始まります。

アーナパーナの時も足やお尻は当然痛くなります。

普通の人は1日10時間も座ったことがないのですから、痛くなって当たり前なのです。

だから、最初の3日間も体の痛みに悩まされます。

それでも、最初の3日間は体が痛くなったらいつ動いてもいいんですね。

だから、あ、もう無理だと思ったら、アーナパーナをやめて休めばよいのです。

ところがヴィパッサナーにはいったら、1日のうち、みんなで座ると決められた3時間は、

座ったら、足が痛かろうが背中に激痛が走ろうが、1時間は決して足を組み直したり、手を動かしたりしてはいけないのです。

2回目の今回はそんなに大変ではなかったけれど、1回目の時には、死ぬほど大変でした。

じゃ、2回目は全く痛みがないのかと言えば、そんなことはなく、1時間痛みなく座れることもあれば座れないこともありました。

ただ1回目と違うのは、痛くてもそれなりに平静で居られるということです。(私はまだまだ未熟者なので平静でいようと努めていただけかもしれません。)

 

苦しみを生む心の癖を直す

で、そんな痛い思いまでして、体の感覚を観察して、一体何になるの〜?と思いますよね。

実は心の癖を直しています。

私たちは、体に感覚を感じると、

気持ちの良い感覚なら、「ああ、もっとこの感覚が続いてほしい」と思います。

嫌な感覚が起こると、「ああ、嫌だ嫌だ。こんなことはあってほしくない。避けたい。逃げたい。」と思います。

考えるより前に体が勝手に反応するのです。

そして、この「ああ、もっと欲しい」が「渇望」を生み、

「ああ、嫌だ、避けたい」が嫌悪を生みます。

この渇望と嫌悪が人生の苦しみの原因なのです。

なぜなら、人生というのは、欲しい、欲しい、欲しいと思っても、実際にはなかなか手に入れられないし、

手に入ってもまた違うものが欲しくなってしまい、いつまでたっても満たされないからです。

また、人生には嫌だ、避けたいと思っても、避けられないことがたくさんあります。嫌なことが起こってしまうのです。

だから、ヴィパッサナー瞑想で渇望や嫌悪を生まない訓練をしているのです。

体の感覚を観察しながら、気持ちがいい感覚にとどまることなく、痛みなどの嫌な感覚に反応することなく、

ただ、静かな心で体の隅々まで体の感覚を観察していきます。

さまざまな体の感覚に反応することなく、平静に観察することによって、

自分に起こったことにすぐに反応して、渇望や嫌悪を生み出してしまう心の癖を治しています。

体の感覚は、「渇望」と「嫌悪」を生み出し、「苦」の原因でもありますが、それに反応せずに、気づき、観察することで「智慧」が生まれると言われています。

 

ヴィパッサナー瞑想で大切なこと

平静さ

ヴィパッサナー瞑想をする時に最も大切なことは、「平静である」ということです。

そして、「今」「ここ」(その時観察するべき体の部分)に集中することです。

私たちは、すぐに過去のことを思い出します。

たとえば、あの時、あの人は私にこんなにひどいことをしたとか)

その時、私たちの体はここにあっても意識は過去に飛んでしまっています。

そして、過去から未来に飛んでしまいます。

たとえば、今度会ったらこんなふうに言ってやりたいとか)

この時も、体はここにあっても、意識は未来というか空想の世界に行ってしまっていて、

「今」にいません。

「生きる」ということは、「今を生きる」のであって、過去と未来に意識がさまよっている時は本当には生きていないとも言えるかと思います。

(これは過去の出来事を検証して、反省点を出し、未来に活かすという話とは違います。)

ここ

「ここ」に集中する。

今意識を置くその場所「ここ」に意識をしっかり集中させないと感覚を感じ取れません。

どこかに痛みやかゆみなど、刺激的な感覚があるとそちらに意識が持っていかれます。

だけど、今観察する「ここ」に意識をつなぎとめます。

絶え間なく

そして、絶え間なく観察する。

意識はすぐに逸れてしまいがちなので、怠ることなく、体の感覚を感じたら、次の部分へ、感覚を感じたら次の部分へと休むことなく働きます。

くまなく

体のどこにも観察していないところがないように、体中を観察します。

個人的に大切だと思ったこと

私が今回、個人的に大切だと思ったのは、優しい心で観察するということです。

私の場合、体の感覚が出てこない時に、待たなきゃいけないので、小さくイラッとします。

また、ある場所を観察しているのに、他の場所が痛くて意識がそっちに逸れてしまうと、ちゃんとできない自分にイラッとします。

そして、時にそんなイラッとくる自分に嫌気がさします。

「出来ていない!」という否定的な感情、小さな怒りがわきます。

これ、全部反応です。全然、平静じゃないんです。

そんな時に、ニコッと笑って、

自分に「それでもOKだよ!」と言ってあげる。

そして、また体の観察に戻っていく。

今回、それがとても大切だなあと思いました。

前回は、出来ない自分に怒っていたなあと思わされました。

ダメだダメだ、出来ない!とか、

いつになったらこの痛みは消えるんだろう?という不安や

また痛かったらどうしよう?という心配や

とにかく、離れるべき否定的な思いにどっぷり浸かりつつのヴィパッサナー瞑想になっちゃっていたなあと知らされました。

まあ、それでも効果はあったと思いますが…

あるがままを観察する

これは平静さに続き、2番目に大切なことかな?

ゴエンカ師の指導で印象的な言葉がありました。

あって欲しい現実ではなく、ありのままの現実を観察する

特別なものを探さない

私はついつい、あー、もし〇〇だったら…と夢想する癖があるし、

何かすごく感動的なことを求める傾向があるので、この言葉が身に染みたのかもしれません。

ふう〜〜〜。

ヴィパッサナー瞑想については書いても書いても尽きることがないのでこの辺でやめておきます。

ここに書いてあることはあくまでも個人の感想ですので、

興味のある方は、Webや本で調べてみてくださいね。

そして、瞑想をする時は指導者の下で始めてください。

長い文書を最後までお読みいただき、ありがとうございました。