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よく「体と心」といいますが、今朝ヨガをしていて、「ああ、本当に体と心は別のものなんだ」と思いました。
カトリックの神父で柳田神父という方がいます。キリスト教的ヴィパッサナーというものを指導していらっしゃいます。
タイトルの言葉、「体はすでに神の愛を生きている」というのはその方がおっしゃっていたことです。

神の愛とは、アガペというギリシャ語の訳です。その意味するところは、無償・無条件の愛です。普段私たちは、愛しているとは言っても、無意識のうちに何か見返りを求めていたりします。これをやってあげたんだから、次はこんなことが返ってくるだろうとか、親切にしてもらって当然だとか思っています。でも、無意識なので気がつかず、自分が思い描いた通りに見返りが返ってこなくなった時、初めて怒る自分に気づいて、自分の愛が無償ではなかったと分かるのです。
同様に、私たちは、愛する時に条件を出します。私を大切にしてくれるなら愛する、いい子でいるなら愛してあげると言うように。
だから、人間の愛はアガペから離れたものになってしまっています。
ところが、柳田神父によれば、体はアガペを生きているのだそうです。
例えば、私たちの心臓は夜も休むことなく働いているのに、文句一つ言いません。あなたが親切にしてくれなかったので、しばらく働きませんと休んでしまうこともないし、頑張ったので何かくださいとも要求してきません。また、あなたはいい人だから働くけれど、あなたは最低の人間だから働きませんというふうに条件をつけたりせずに働いていると言うのです。

今朝、いつものようにカラスのポーズを練習していました。このポーズはバランスのポーズなので、体の各部分が絶妙に協力しあって、成り立つポーズなのです。
私はその体の各部分の協力具合にいたく感激したのですが(実際、体は本当に頑張った)、私の心は「いや、もっと長時間やれるようになりたいんだよ!」と叱咤激励していることに気がついたんです。
すごく頑張った体に「ありがとう」と声をかけつつ、心の奥底では「なんでもっと頑張れないんだよ〜」と思っていることに気がついたのです。
体はアガペで生きているのに、心はエゴだなあと発見した朝ヨガでした。